辞めたて保育士のほかほかブログ

もと保育士が保育の仕事・現場について語ります

3.11 保育園にいました5

お迎えが来ない・・・

お迎えの保護者は、やはりなかなか来ませんでした。

 

一歳児クラスのお部屋に布団を敷き、緊張して疲れている

子どもたちが、いつでも横になれるようにしました。

 

軽食用に置いてあるマドレーヌと林檎と麦茶を

みんなで食べると子どもたちは、布団でゴロゴロし始めました。

1歳児クラスの子の中には、不安になり泣き出す子もいましたが

保育者が布団の横について寝かしつけると眠りにつきました。

 

幼児クラスの子どもたちは、布団の敷いてある部屋の隣で

ブロックや折り紙、お絵描きをして過ごしました。

なかなか来ないお迎えに不安そうでしたが、友だちや大勢

いる保育者に遊んでもらい笑顔も見られました。

 

かなりの人数の子どもが、残っていました。

 

無理もありません、交通機関は、マヒしていました。

 

子どものいる保育士は、近所に住んでいたり、車で

出勤をしていたので早めに帰りました。

 

次の日は、土曜日。

その段階では、土曜日の保育がどうなるのか想像も

つきませんでした。

 

私は、土曜日出勤の保育士に声を掛け、自分が残る

ので自宅に戻って休むよう話しました。

 

その保育士は、家に帰っても旦那さんが、戻れないので

怖い、保育園に泊まってみんなといた方がいいとのこと。

一人暮らしの部屋に戻るのが、嫌で残る保育士も何名か

いて、私は、父と母が気になり、子どもが5人位に

なった21時頃、帰らせてもらうことにしました。

 

3.11 保育園にいました6へ続く

 

 

 

 

 

3.11 保育園にいました4

どうやって安全に過ごそうか・・・

みんなで家族の無事を喜び合いました。

 

子どもの保護者には、地震発生後すぐに、子どもたちの無事を

知らせるメールを一斉に配信していました。

保護者からは、「あのメールのおかげでとても安心しました」

と感謝されました。

 

おやつを食べ終えるといつもならコーナーに分かれて、

自由遊び後、帰りの会をするのですが、子どもたちを

なるべく部屋の中央に集め、遊べるように考えました。

 

動きたい盛りの子どもたちが、とても一か所にいてくれる

はずもなく、それでも大きな紙を部屋の中央に広げ、

みんなでいつもとは、違うお絵描きを楽しんだりしました。

 

そしてたまに小さな地震が起きるとバタンバタンと大きな音が

なり(おそらく、免震装置の音?)その音に怯える子もいました。

 

偶然にもその日は、新入園児の説明会が行われていて

私の担任していた2歳児クラスの隣の部屋には、新入園児の

保護者がいました。

 

保育者の方は、そうそうと思われる方も多いと思いますが、

第一子が2歳児クラスになると第二子を考える保護者は

とても多く、2歳児クラスの子どもたちのお母さんが、

隣の部屋に何名かいました。

 

お母さんたちも慌てる様子はなく、第二子の赤ちゃんを

抱いて座っていました。

子どもたちと家に帰るより、大勢でいた方が安心だったの

でしょう、しばらくみなさん、残られていました。

 

そして、落ち着いて避難し、遊んでいるわが子を見て

「見ることができてよかった、安心した」と言っていただきました。

 

3.11 保育園にいました5に続く

 

3.11 保育園にいました3

自分たちの家族は・・・

大きな揺れは、収まったものの、小さな揺れが、

続いていました。

 

まだ着替えていない子を見る保育士、子どもを集めて

絵本を読み聞かせる保育士、おやつの準備をする保育士に

別れ、動きます。

 

おやつを食べるテーブルは、いつもとは違い、壁や窓から離れた

部屋の中央にいつもより、テーブルの数を減らしてセッティングしました。

いつもよりも子どもの間隔を狭くして、保育者がどの子どもの

そばにもつけるようにしました。

 

いつもとは、違う雰囲気に楽しそうな子もいる程。

子どもたちは、落ち着いていました。

 

そんな時、園長が「家族に電話をしなさい」と部屋にまわってきました。

「携帯電話は、通じないから園の電話を使って」と言われ、

しばらくみんなで譲り合いましたが、順番に電話をかけました。

 

私が、実家に電話を掛けると母はとても落ち着いて

「私もお父さんも大丈夫だから、〇〇(私の名)は、大丈夫なの?」

「大丈夫、〇〇(小学生の姪の名)は?〇〇は、大丈夫なの?」

「みんな大丈夫だって」

「あぁ、よかったぁ!じゃあ、仕事に戻るから」

と電話を切りました。

涙が溢れました。

 

3.11 保育園にいました4に続く

 

 

 

 

 

3.11 保育園にいました2

みんな無事!でも揺れはつづく・・・

「先生、人数数えながら、子どもたち見ていてね」

と声を掛け、窓をあけ、万が一ガラスが割れた時の為に

ロールカーテンを下げに行きました。

 

その時、窓の外を見ると、ランドセルを背負ってパニックに

なっている小学生が見えました。

 

小学生の頭上の電線は、今まで見たことのないほど揺れています。

 

かなり離れた場所にいる小学生に向かって思わず叫びました

「そこのマンションに入りなさい、管理人さんがいるから

管理人さんのところに行きなさい」

小学生の子どもたちのすぐそばにあったマンションを指さしながら

叫びました。

 

どこから声がするのかわからず、最初は、キョロキョロと辺りを

見まわしていましたが、何度か叫んでいると、気づいた小学生は、

無事、マンションに入って行きました。

 

建物に入るのが安全かと声が上がるかもしれませんが、当時、

私の働いていた保育園の地域は、免震をうりにしている

新築マンションが、たくさん建っている新興住宅地でした。

 

今まで、目の前にいる子どもたちをいかに安全に守るかで

頭がいっぱいでしたが、パニックになる小学生を見て、

「姪は、どうしているんだろうか、両親は、無事だろうか」

と当時小学生だった姪、脳梗塞で右半身に麻痺の残る父、

そのそばにいるであろう母をやっと思い出したのです。

 

それまで家族のことなんて一切思い出さず、目の前の

子どもたちのことしか考えられなかったのです。

 

3.11 保育園にいました3に続く

 

 

3.11 保育園にいました

その時、子どもたちは、保育士たちは・・・

東日本大震災・・・あの日から5年が経つのですね。

あの日のことは、よく憶えています。

 

私は、東北から離れた首都圏に近い保育園で

働いていました。

当時、私が、働いていた保育園のある地域の震度は、

震度5弱、私が今まで体験したことのない揺れでした。

 

地震が起きたのは、子どもたちが、午睡から目覚め

始めた頃。

起きてお着換えしている子、トイレにいる子、

まだ寝ている子・・・

2歳児クラス15名を3人の保育士で担当していましたが、

担任1人は、事務所で仕事をしていました。

 

私は、4名を連れてトイレにいました。

 

大きな揺れを感じた時、1人は、まさにおしっこの真っ最中!

寝ぼけ眼で、揺れを怖がる様子もなく、おしっこをしていました。

すでにようをたし終えた3人の子を抱えながら、どうする

べきか頭はめまぐるしく働いていました。

 

お部屋の中には、保育者1名と子ども11名。

 

中の保育者に「そっちは、大丈夫?こっちに4人いる、

こっちは、大丈夫」と声を掛けます。

 

「大丈夫です」と中堅保育者の落ち着いた声が返ってきました。

 

ここで中にいる保育者の経験、度量、起きている子の人数で

動きは、また変わっていたと思います。

私は、トイレに座ってようをたしている子を待ってから、

4人を連れて部屋に戻ることが出来ました。

 

部屋の子どもたちも落ち着いており、子どもたちを

部屋の真ん中に集め、布団を頭からかぶせます。

 

*3.11 保育園にいました2に続く

 

 

 

 

 

 

 

今日のごはん

朝ごはん

  • スパゲッティナポリタン
  • 水菜のサラダ
  • 林檎のヨーグルトかけ
  • カフェオレ

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ナポリタン、とてもおいしくできました。

早くレタスが、安くならないかな・・・

水菜じゃなくてレタスのサラダが食べたい

 

晩ごはん

  • 豚肉のうまいうまい焼き
  • 水菜
  • スープ餃子
  • しらす丼

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今日は、寒かったですね。

スープ餃子で温まりました。

明日は、何を食べようか・・・

 

 

家が揺れる・・・

はす向かいにある大きな家に住んでいた老夫婦。

奥様は、毎朝早くから、家のぐるりを丁寧に

掃除されていました。

綺麗で品のある方でした。

 

旦那さんは、滅多に見掛けなかったけど、

奥様にぶすっとした表情で怒りながら

話しているのを何度かみたことがありました。

一月ほど前の日曜日、引っ越されて行かれました。

その前の日まで、奥様は、きちんと家のぐるりを

いつものように掃除されていたので、とても驚きました。

想像でしかありませんが、2人で老人ホームにでも

入いられたのでしょうか。

 

そして一週間ほど前から始まった、取り壊し・・・

私が、このお宅のはす向かいのアパートに

引っ越して来たのは、5年前の夏。

このお宅の庭の白い夾竹桃が、咲き誇っていて、

青空の下、歓迎されているような気がして、

嬉しくなったことを憶えています。

広い庭の木が、次々と切られ、毎年楽しみにしていた

夾竹桃が切られた時は、とてもさみしくなりました。

 

それにしても道を隔てているのに、毎日、アパートが、

揺れる揺れる・・・

常に震度2、3で揺れている感じで、酷いときは、

震度4位に感じる程・・・

テレビが、倒れるのでは?!と心配になります。

工事が、終わってもまだ揺れている気がします。

地盤がおかしなことになっていそうで怖い・・・

 

明日で3・11から5年。

3・11の日、私は、保育士として働いていました。

明日は、その時の話をかこうと思います。