辞めたて保育士のほかほかブログ

もと保育士が保育の仕事・現場について語ります

「一斉保育」をやめようとした時に・・・

前回のブログで今回決定した配置基準緩和によって、考えられる保育の質の低下について書きました。

 

今でも「一斉保育」は、多くの園で導入されています。

でも怒鳴って子どもに言うことを聞かせるだけという「一斉保育」は、少なくなったと思います。

 

私が、保育士の資格を取得し、アルバイトで保育士として働き始めた頃、「一斉保育」が、見直されている過渡期と言ってよい時期だったと思います。

 

以前もブログに書いた通り、私は、保育の学校を出たわけでは、なく、一般企業の事務職として働きながら資格を取得しました。

私は、そもそも漠然と「孤児院で働きたいな」と考え保育士資格取得の勉強をしていました。

「孤児院」とは、呼ばず、「養護施設」ということすら勉強する前は知らなかった。

そのころ「養護施設」の本も何冊か読んでいましたが、「養護施設」で暮らす子どもは、どこかしらに心の傷を負っていて、対応の難しさが書いてありました。

そこで子どもについての何の知識もないまま、「養護施設」で働くよりも、保育園というところで働いて経験をつけようと考え、今に至るのです。

 

そんな、「保育」についての知識が浅い私にとって、保育園という場所は、驚くことが多かったです。

 

面接の際、何園か見学をさせてもらいましたが、とある園で、みんなでお絵描きをしている時間に居合わせました。

そこに一人の男の子が、「ぼくおえかきしな~い」と席を立ちました。保育士は、何というのかなと見ていると「いいよ~」と言ったきりその子に何の言葉がけ、アクションも起こしませんでした。

その子は、お部屋の中を一人フラフラ歩き、時には、一生懸命描いている子の邪魔をしたりしていました。

 

面接のときの話によると理事長が亡くなり、新しい経営者が、昔から行っている保育をやめるよう指導し、昔からいる職員をかなり辞めさせたとのことでした。

そこは、昔から何園も経営する法人の保育園でした。

子どもに体罰もしていたし、「鼓笛」と言って楽器の演奏を園児が行う練習にも力を入れていたそうです。

何園もあるので運動会は、共同で行い、園同志の競争のようになっていたそうです。もちろん、競争意識があるのは、保育者です。

午後のおやつ後、帰りの会、帰りの仕度を終えた後の自由遊びの時間は、床に座ってテレビを見て過ごし、テレビを見ている子どもたちの後ろで保育士は、椅子に座って子どもたちが、騒がないように見張っていたそうです。

そこの園は、とても規模が大きく、子どももとても多かったです。

 

その昔のやり方を変えるのは、とても良い考えだと思いますが、その頃「一斉保育」をやめようとなった時に「自由」と「放任」を履き違えた保育が、出てきました。

 

その私が見たお絵描きの時間も今迄のやり方なら、無理やりにでも座らせて、みんなと同じように絵を描かせていたのでしょう。

でも「一斉保育」をしないように上から言われ、今まで「一斉保育」しかしてこなかった保育士は、やり方がわからなかったのでしょう。

園の方針で「自由」と上からクギを刺されたら子どもが「やりたくない」と言えば、子どもの「自由」だから好きにさせるという保育をするしかない。

新しい経営者は、保育とは、関係のない仕事をしてきた人だったそうです。

「一斉保育」ではなく、「自由保育」と言われた時にやり方を知る人がいず、導いた人がいなかった。だから、子どもを放任する「保育」とは、呼びたくもない保育をすることになってしまったのでしょう。

でもその頃には、よくあった話だと思います。

これは、20年以上前の話です。

 

「自由」と「放任」の違いに気づき、また保育は、変わります。

子ども一人一人に寄り添いたいと考えている保育園が、今向かっている「保育」について今回は、書くつもりでしたが、書ききれませんでした。

次回必ず。