辞めたて保育士のほかほかブログ

もと保育士が保育の仕事・現場について語ります

地震

3.11 保育園にいました7

目の前に両親と同じくらいの女性が・・・ やっとの思いで実家のそばまで来ました。 すると私の目の前に私の両親と同じ年位の女性が歩いていました。 足取りは、おぼつかず、フラフラしていました。 実家は、目の前、それでもその女性に声を掛けずには、 いら…

3.11 保育園にいました6

歩いてかえるしかない・・・ 保育園を出て国道に向かうと辺りは真っ暗。 停電していたのです。 お迎えに来た保護者の方たちから色々情報は、入って いましたが、街頭の一切ついていない夜道を 目の当たりしたときは、とても驚きました。 それでも道にびっし…

3.11 保育園にいました5

お迎えが来ない・・・ お迎えの保護者は、やはりなかなか来ませんでした。 一歳児クラスのお部屋に布団を敷き、緊張して疲れている 子どもたちが、いつでも横になれるようにしました。 軽食用に置いてあるマドレーヌと林檎と麦茶を みんなで食べると子どもた…

3.11 保育園にいました4

どうやって安全に過ごそうか・・・ みんなで家族の無事を喜び合いました。 子どもの保護者には、地震発生後すぐに、子どもたちの無事を 知らせるメールを一斉に配信していました。 保護者からは、「あのメールのおかげでとても安心しました」 と感謝されまし…

3.11 保育園にいました3

自分たちの家族は・・・ 大きな揺れは、収まったものの、小さな揺れが、 続いていました。 まだ着替えていない子を見る保育士、子どもを集めて 絵本を読み聞かせる保育士、おやつの準備をする保育士に 別れ、動きます。 おやつを食べるテーブルは、いつもと…

3.11 保育園にいました2

みんな無事!でも揺れはつづく・・・ 「先生、人数数えながら、子どもたち見ていてね」 と声を掛け、窓をあけ、万が一ガラスが割れた時の為に ロールカーテンを下げに行きました。 その時、窓の外を見ると、ランドセルを背負ってパニックに なっている小学生…

3.11 保育園にいました

その時、子どもたちは、保育士たちは・・・ 東日本大震災・・・あの日から5年が経つのですね。 あの日のことは、よく憶えています。 私は、東北から離れた首都圏に近い保育園で 働いていました。 当時、私が、働いていた保育園のある地域の震度は、 震度5…

家が揺れる・・・

はす向かいにある大きな家に住んでいた老夫婦。 奥様は、毎朝早くから、家のぐるりを丁寧に 掃除されていました。 綺麗で品のある方でした。 旦那さんは、滅多に見掛けなかったけど、 奥様にぶすっとした表情で怒りながら 話しているのを何度かみたことがあ…