辞めたて保育士のほかほかブログ

もと保育士が保育の仕事・現場について語ります

おやつを食べたい子、まだ食べたくない子

一人一人の気持ち、状況を考えてみる

1歳児15名で一斉におやつを食べようとした時の大変さを前回のブログで書きました。

そのやり方は、子どもにとって、落ち着かなく、保育者にとってもとても大変だと私は思います。

(しつこいようですが、今回、配置基準が緩和され、1歳児18名に保育士3名ということになってしまいました。)

 

朝のおやつの前は、登園してくる子どもを受け入れながら自由遊びの時間としている保育園が多いと思います。

 

登園してくる子の時間は様々、おやつの始まる直前に来る子もいれば、朝7:00から来ている子もいるのです。

その2人が同じ時間におやつを食べるのは、おかしいと保育士でない人は、思うかもしれません。

おやつの時間直前に登園してきた子は、もちろんまだおやつなんて食べたくない子がほとんどです。それよりも遊びたいものです。

 

一人一人の子どもの気持ち、状態を考えてみた時、一斉におやつを食べる事をやめました。

トイレもみんなで一緒に行くことは、しません。

登園の早い子、オムツの濡れている子を何人かトイレに誘います。

登園の早い子は、ずっと遊んでいるので遊びに飽きている子も多いです、オムツの濡れている子は、気持ちが悪いと感じている子も多く、トイレにも案外スムーズに来てくれます。

15名がほぼ同じ時間にトイレに来るよりもトイレは空いているので喧嘩も起こりにくいし、便器の取り合いもありません。

狭いトイレに子どもと大人が何人もいるよりも一人の大人と数名の子どもがいる方が落ち着きます。

そうやって少しずつトイレを済ませ、トイレに来るのをどうしても嫌がる子は、おやつ後や主活動の前にトイレに改めて誘います。

 

その後、遊びに飽きている子と一緒におやつの準備を始めます。保育士がテーブルを拭いていると子どもも真似をして拭きたがりますよね、小さな台拭きを用意して一緒に拭いてもらいます。

15名一斉には食べないのでテーブルや椅子は、5名分ぐらいの準備で大丈夫なのです。

 

エプロン、口拭きタオルは、全員分準備はしますが、並べるのは食べる子の分だけでよいのです。

0歳児クラスから進級して来た子は、自分の口拭きタオル、エプロンを自分のものとわかっている子も多く、子どもの手の届くところに並べておけば自分で持って来ることができますね。

 

もうトイレを済ませて、おやつを食べたい子を連れて一緒におやつ取りに行きます。

登園が早くて、おやつが食べたい子は、「これからおやつを取りに行くから、〇〇くんも一緒に取りに行ってくれる?」と声を掛けるとお部屋から出てもおやつを持っている保育士のそばについてきてくれるものです。

もちろん今の時期は、泣いている子を1人おんぶしていますよ、念のため。

その負われている子も含めて3人位、連れておやつを取りに行ってくれるとお部屋にいる子どもの人数も減り、お部屋の保育も少しはゆったりできますよね。

 

そしておやつを早く食べたい子の手洗いを見て、その数名分のおやつの配膳をします。

おやつが食べたい気持ちのある子は、お水遊びをするより早く手を洗っておやつを食べたいので手洗いもスムーズ、人数も少ないので押し合いへし合いもありません。

その最初におやつを食べるグループでは、こぼす子はいても、食べさせてもらわなければ食べなかったり、食べたくなくて遊ぶ子はいないのでおやつを食べている間に残りの飲み物、食べ物の配膳をすることができます。

 

そのグループが食べ終わる頃、食べていない数名をおやつに誘います。

その数名で手洗い、おやつを食べます。

数名なので押し合いへし合いは、ありません、水遊びを始める子はいるかもしれませんが・・・

口拭きタオル、エプロンも15枚から何枚か減っているので探し出すのもスムーズ。

それを2回から4回位行って全員おやつが食べ終わります。

 

その間、自由遊びを見ている保育士が遊びのコーナーを減らしていき、玩具を少しずつ片づけ始めます。

そしてお散歩に行く準備コーナーをセッティングし始めます。

おやつを終えた子で遊び始める子もいますが、お散歩を楽しみにしている子や日々保育園で生活する中で、おやつの後は、お散歩となんとなく生活の流れが分かってきている子は、お散歩の準備コーナーへ行って自分の靴下や帽子を探し、うまくいかないながらも帽子をかぶってみようとしたり、靴下を履こうとしようとします。

遊びのコーナーは、減り、玩具も少なくなっているので遊びに飽き、おやつを食べに行ったり、散歩の準備を始める子が保育士が無理やり誘わなくても出てきます。

 

こんなことを日々繰り返す中で保育者の指示がなくても「おやつが食べたいから手を洗ってエプロンをつけよう」、「おやつを食べたら散歩に行くから帽子をかぶらなきゃ」と子どもたち自ら気づいて動けるようにしたい、それこそが「子どもにとっての生活の場」なのでは、ないかと思うのです。

 

今回のブログを読まれて気づいている人もいると思います、この保育をやろうと思った時に「コーナー」という言葉が何度も出てきました。

おやつを食べているすぐそばに遊んでいる子がいたらおやつを食べている子は、落ち着いて食べることができず、この保育は成立しません。

そうなんです、コーナー「お部屋の環境設定」がとても大切になってくるのです。

次回のブログには、そのことを書きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1歳児クラス18名でおやつを食べようと思うと・・・

このブログを始めて、コメントを頂く中、自分の書いたブログを読み直しています。

子育て真っ最中で保育園に我が子を預けている保護者の方にとって不安になってしまうようなブログが多いかなぁと反省・・・と言っても私が反省してもしゃーない!こんな保育の現状を厳しくしようとしている政府が悪いんじゃー!とまたまた今回の配置基準の緩和について怒りのブログのなりそうなので、それは置いといて、前向きなブログを書きたいと思います。

 

私は、今、保育士特例制度というものを利用して幼稚園教諭の資格を取ろうと幼児教育について改めて勉強しています。

勉強していく中で教育基本法は、なんて良いことを書いてくれているんだろうと改めて思う今日この頃です。

 

以前のブログに子どもにとって保育園は「生活の場」であってほしいと書きました。そのブログの続きになるのかなと思います。

 

保育園によってやり方は様々ですが、配置基準が緩和され、18名の1歳児を3名の保育士で担任を持った時、18名で一度に動くのは、とても大変です。

私が、1歳児クラスの担任をしていた時は、15名の1歳児を3人の保育士で担任していました。

 

1歳児、15名で一斉に動こうとした時の保育を考えてみましょう。

まず、朝のおやつから考えてみましょうか。

 

一人の保育者がおやつの準備を行います、テーブル、椅子をセットして、テーブルを消毒し、15枚のエプロンをセットし、15枚口拭きようのおしぼりをつくり、おやつを給食室まで取りに行きます。

この時点でお部屋には15名の子どもと2名の保育者がいることになりますね。

2人で15名の子どもを見るのはとても大変です、今の時期、新入園児もいて泣いている子も一人や二人どころではないと思います。

なのでおやつを取りにいく保育者は、1人をおぶって15名分のおやつを取りに行くのです。

15名分の飲み物、食べ物、食器を運んだ経験のある人は、多くないでしょう。

私が働いていた保育園では、磁器の食器を使っていたのでとても重かった。

それでも背中で泣いている子をあやしながら廊下で会う幼児クラスの子どもたちに笑顔で挨拶をしたりしています。

 

取りに行ったおやつを並べて(もちろん背中には泣いている新入園児が・・・)「おやつの準備ができたよ~」とみんなに伝えます。

 

おやつの前に15名をトイレに連れて行きます。

嫌がる子、自分から行く子、泣いている子(しつこいようですがもちろん背中には泣いている新入園児が・・・)を連れて便器に座らせ、オムツを換えます。

トイレの水を流して遊んでいる子、便器に手を突っ込もうとする子、便器をのぞき込む子、便器を取り合って喧嘩をする子・・・そんな子に注意をしながら、自分でなんとかオムツやズボンを履こうとしている子を見守りながらオムツ替えをしています。

15名のトイレ、オムツ替えを済ませた保育士はもうクタクタです。

 

トイレの後の手洗い、お水大好き1歳児、なかなか手を洗うのをやめてくれず、水遊びが始まります。

まだ、順番、並んで待つなんて出来る訳もなく、後ろの方では押し合いへし合いが始まります。

その押し合いへし合いを注意しているうちに水遊びは、エスカレート!洋服はビチョビチョ、床もびっしょり・・・。

濡れた子のお着換えをさせ、床を拭いてやっとおやつです。

 

エプロンを一人一人につけていきます。

エプロンは、自宅から持って来てもらっている保育園が多いです。

エプロンも様々、名前を見つけるのも一苦労。(名前を大きく、目立つところに書いてくださっている方のありがたいこと!)

やっとみんなにエプロン、口拭きタオルが行きわたり、いただきます!

飲み物をこぼすこ、食べ物を落とす子、飲み物に食べ物を入れて遊ぶ子、食べさせてあげないと食べない子、もう食べ終わっておかわりをする子、全然食べないで泣いている子、口拭きタオルで遊び始める子、隣の子と喧嘩をする子・・・一人一人に目を配り、援助し、こぼした牛乳を拭いて、おかわりをつぎ、やっと全員のおやつが終わります。

床に散らばった食べこぼし、汚れたエプロン、口拭きタオルの処理、汚れたエプロン、口拭きタオルを15人分それぞれの汚れ物入れへ返却、洋服を濡らしてしまった子のお着換え、食器の片づけ、給食室への返却・・・

 

とこんな感じでおやつが終わるのです。

どうですか、想像しただけで大変そうですね。

これは、朝のひと時にすぎません。

この後に主活動と言われる、散歩や外遊びが待っているのです。

 

こんなの子どもにも大人にも無理のあるやり方です。

でも私が働いていた保育園の大半が、このやり方でした。

 

でも主任という立場になった時、色々な保育園で働いて来た中で見てきた保育園での良い点、悪い点を考えてみました。

 

私がアルバイトを含め、3園目となる保育園では、乳児クラスは、担任の中に担当制があり、1歳児クラスの担任だった私は、5名の男の子を担当しました。

その5人の男の子と主活動、トイレトレーニング、おやつ、給食、お着換え、寝かしつけをずっと一緒に過ごすのです。

まるで五つ子の母。

給食も6人でテーブルを囲み一緒に食べました。

それは、それでとても大変でした・・・このやり方にも良い点、悪い点があります。

 

そんな保育も経験してきた中でクラス全員を一斉に動かすのではなく、それぞれの子どものペースに合わせ、少人数で時差をつけて動く保育を始めたのです。

それには、子どもたちからの手助けが必要でした。

 

その保育について次回のブログに書きたいと思います。

 

 

 

 

 

コメントをいただいて思うこと

このブログを始めて3週間、コメントをいただくようになりました。

 

返信をしたいと思って色々調べてみたのですが、基本的にコメントへの返信のやり方が決まっているわけでも、システムがあるわけでもないのですね。

 

でも長いコメントをいただき、どうしても返信したいと思い、今日は、2回目のブログの更新です。

前回のブログの続きは、次回必ず。

 

以前のブログ「保育士にがっかりした」で書いたように、保育士をしていながら保育士にがっかりすることも多かったです。

 

私が、子どもを預ける立場として保育園を選ぶ時は、理念を重要視しません。

それよりも家の近所にあることを優先したいと思っていますが、保育園の雰囲気、園長、保育士の保育に対する姿勢、取り組み方は、入ってみなければわからないだけに難しいですね。

 

私が保育士として、働く保育園を選ぶ時は、理念を一番重要視します。

 自分の保育に対する考え、「こんな保育がしたい、こんな保育だけは絶対にしたくない」がある場合、自分のやりたくない保育をしている保育園に入ってしまうと園長や保育園に対して不満が募り、周りの保育士と協力もしづらく、子どもに対しても「こんなことさせたくない」という気持ちで接することになってしまう。

そんな保育士に見てもらう子どもは、不幸です。

自分が子どもにとって良いと考える保育ができていないと、保護者に会っても自信がないから知らん顔してしまう。

 

でも、保育園の理念に共感し、園長もその理念に基づいた保育に向かって突き進んでいて、保育士たちもそこへ向かって保育に取り組んでいたら、その保育園の保育士たちは生き生きとしていて保育園の雰囲気も良くなることでしょう。

子どもにとって良い保育だと思う保育をして、子どもたちが応えてくれる、保育士が仕事にやりがいを感じる瞬間だと思います。

仕事が楽しくて、保育園を出ても子どものことをつい考えてしまう、今日は、あんなことをしてあんな反応が子どもたちから返ってきたから、明日は、こんなことをしてみよう、次の日の保育が浮かんでうきうきしてしまう、保育園を出て、担当している子どもの保護者に会ったら、「今日は、こんなことをして、〇〇ちゃん、こんなこと言ってましたよ」と思わず話したくなってしまう、声を掛けずにいられない、そんな保育士がいるはずです。

 

辞める保育士が多いのは、悪いことだけではないと思います。

自分の考えとは違う保育を不満を抱きながらするよりは、絶対に良い。

子どもの為にもそんな保育士には、自分の考えに合った保育園に移って欲しい、それがその保育士自身の為でもあると思います。

 

でもどんな理念であろうとその園の責任者である園長がその保育園の理念に自信を持ってやる気に溢れていたらそれについて行き、理想に向かって頑張っている保育士は必ずいると思います。

 

私の保育士仲間は、ご自身の娘さんの通っている保育園がとても不満でした。

お迎えに行っても保育士同士でおしゃべりしている、朝、髪の毛を結ってあげていたのにざんばらのまま、等々。

でも家の近所で便利だからと割り切っていました。

ところが園長が代わったのです。そうすると保育園の部屋の環境が代わり、保育士のおしゃべりがなくなり、保育士たちの雰囲気がとてもよくなったそうです。

 

その保育士仲間の話を聞き、とても興味が沸き、娘さんのお迎えに付いて行かせてもらうことにしました。

園長先生は、事務所からすぐに出てきてくださり、どのようにして部屋の環境をかえたのか、それには、どんな意図があるかなどを夢中で話してくれました。部外者の私にそれはもう、真剣に夢中になって話してくれました。

そして、一人の保育士を捕まえると「この人、私のやり方が嫌で反発ばかりしていたのよ」なんて事まで楽しそうに話してくれました。

その保育士さんは、今まで一斉保育しか経験がなく、その園長先生に一斉保育とは、真逆の保育でやっていくことを説明された時、不満しかなかったそうです。

でも、園長先生が先頭に立って保育を引っ張り、保育士と子どもたちにやり方を伝えたことで子どもが変わり、ご自身の考えも変わったそうです。

その園長先生は、60歳位だと思いますが情熱的で明るく、パワフルにみんなを巻き込んでいました。

 

どんな保育園でもそうですが、保育にやる気を持っている、持っていないは、私が保育園に子どもを預ける立場になった時にとても重要視すると思います。

 

それを知るには、保育園の下見に行くしかない、見学をさせてもらって、園長から話を聞く事だと思います。

 

その方は、日々のちょっとしたすれ違いと書かれていましたが、ビジネスライクな保育士や保育園の雰囲気にも気づいてました。転園を決断されたのは、とても良かった、理念だとかではなく、保育園や保育士の雰囲気は、説明しづらいと思います、誰にも分ってもらえないんじゃないか、私がわがままなんじゃないかと不安になると思いますが、そこを重要視されたのは、大正解だと思います。

今、通われている保育園が良い保育園で本当に良かった。

コメント、ありがとうございました。

 

 

 

 

私ならどんな保育園を選ぶだろう・・・

私は、アルバイトも含めて、色々な保育園で働いてきました。

 

 

〇〇教育法というようなことを取り入れ、外遊びよりも室内で教具を使って遊ぶことに重きを置いている保育園、それとは真逆で朝から晩まで外にいて泥だらけになって遊んでいる保育園、一般的なごくごく普通の保育園と言われている保育園には、大抵、外部から講師を招いて週に「英会話」「リトッミック」「体操教室」の時間がありますね。保護者からの要望が多いのです。これといった特徴のない保育園は、保護者からの要求に柔軟なのかもしれません。

 

こんなことを書くと「じゃあ、あなたならどこに預けたい?」と聞かれます。

 

私なら家の近くにある保育園に預けたいです、だってどんなに良い理念があったって、家から遠くて通勤電車に乗って子どもとラッシュにもまれるのは、嫌ですし、仕事帰りに最寄り駅のスーパーで買い物を済ませて、家の近くの保育園に子どもを迎えに行って、すぐに家に着く事ができれば、その分、子どもとゆったり過ごせると思うからです。

それから、小学校に入学する時、学区が決められていますよね、近所の保育園であれば、保育園の友だちと同じ小学校に通える確立も高い、初めて通う小学校で知っている友だちがいるのは、とても心強いと思うのです。

 

そして、子どもはどこの園の子どもも可愛くて面白いのです。

どの保育園でも保育士は、子どものことを考えひたむきに頑張っているからです。

 

でも、保育園の理念より、家の近所を選ぶ最大の理由は、子どもを育てているのは、結局は、家庭なんだなと思うからです。

保育園は、そのお手伝いをしているのです。

 

一口に保育園といっても保育園によって、色々な特徴があります。

こんなに待機児童がいる中、不思議に思われるかもしれませんが、少子化の時代、保育園も経営について深刻に考えていて、保育に特徴、強味を持って子どもを入れてもらおうと躍起になっています。

株式会社も参入してからもっと顕著になったと思います。

 

なのでこれから私の書く「子ども一人一人に寄り添おうとしている今の保育園が向かっている保育」とは、全く考えの違う保育園もあります。

でも大人が支配する「一斉保育」や子どもの「自由」を隠れ蓑にした「放任保育」とは、違う保育を考え、試行錯誤しながら取り組んできた中で、見えてきた保育と思って読んでいただければと思います。

 

保育園は子どもにとって「生活の場」であって欲しいと思います。

幼稚園との大きな違いは、そこにあると思うのです。

 

以前働いていた〇〇教育法を取り入れていた保育園で働いていた時、年度の途中から主任保育士に午前中の主活動は、一番教具に取り組むことのできる時間帯だから散歩に出ないよう言われたことがありました。

幼稚園であれば、遅くても14:30位に保護者と降園後に散歩に行ったり、買い物に行く時間があるけれど、朝早くから夜遅くまで保育園で過ごしている子は、散歩を禁止にされたら保育園を一歩もでないまま、過ごすことになる、それは、とても不自然なことでは、ないかと訴えました。

当時、私が担当していた1歳児の男の子に朝7:30から夜の20:00まで保育園で過ごしている子がいました。その子が平日の日中は、保育園から出る事なく、保育園の中でのみ5年もの間過ごすのかと思ったらぞっとしたのです。

 

散歩で得ることは、とても大きいと思います。

まず、自分の住んでいる地域との関わりを持つこと、散歩で挨拶をして地域の方と直接触れあうのは、大切なことだと思います。自分の周りには色々な人がいるのだと知るきっかけにもなります。私は、年長児と散歩する際、「子ども110番の家」の意味を伝えみんなでその看板を付けた家、お店を確認しながら歩いたものです。

そして交通ルールを学ぶ機会でもあります。紙芝居や絵本、DVDなどで得た知識とは、違うと思います。

友だちと手を繋いで道を歩くとき、相手のペースに合わせたり、ペースが合わず嫌な思いをしたり、おしゃべりをして歩くのは、大人と手を繋いで散歩をするのとは、違った経験です。

 

散歩だけでは、なく、外遊びで思い切り体を動かす経験は、乳幼児期に必ず体験しておくべきことです。

整体の先生に聞いた話によると舗装された平坦な道を歩くのではなく、でこぼこした起伏に富んだ道や斜面を登り降りすることは、歩きながらどこに足を出すかをとっさに判断していて、そんなことから「判断力」は、育つのだそうです。

きちんと整備された園庭で遊ぶだけでは、そんな力は育たないですね。

外遊びで色々な経験をして体を動かしていれば体操教室がなくても十分だと思います。

 

もちろん、子どもの年齢にあった距離、遊具、遊び方を保育士は考えなければなりません。簡単すぎれば、子どもはすぐに飽き、逆に危険なことをやろうとするかもしれません、逆に難しすぎると怪我をしたり、頑張っても出来ないことでやる気、自信をなくしてしまうことになりかねません。

保育士は、子どもの年齢による発達を勉強していて年齢に応じた遊びを提供するこをと考えています。

でも今政府が、保育士の資格を持たなくても保育園で働けるようにしようとしていることは、子どもの発達への知識を勉強していないために、発達に合っていない遊びを提供し、怪我、事故を起こす可能性を高くしているのです。

 

話が横道にそれました・・・

 

保育にかかわる事を考えていると今、政府が待機児童対策として打ち出していることの無責任さにぶち当たりますね。

 

今日は、ここまで。

外遊びに子どもを連れ出すのは、保育士にとって楽なことでは、ありません。でも外遊びの大切さを知っている保育園は、子どもたちに外遊び思い切り経験させているのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

配置基準の緩和、絶対に絶対に許せない!!保育士、負けるな!

保育士の仕事って本当に軽く考えられていますよね。

 

今回の配置基準の緩和問題でつくづく保育士の置かれている立場の弱さを痛感しました。

これだけ、保育士の地位の低さが取りざたされているのにこれが、決定されるとは・・・

このことをブログで何度取り上げても足りない。

どうすればいいのか、どうすれば現場の声が届くのか、もどかしくて情けなくて・・・

 

人の命を預かる責任の重い仕事だからこその国家資格とは、誰も考えてくれてこなかった、最近、見直され始めているのは、とても喜ばしい、でもお金だけの問題じゃないんですよ、保育士たちは、子どもにとってどんな保育が良いのか日々試行錯誤しながら、悩み、勉強しているのですよ。

お金より、子どものことを一番に考えているんですよ。

 

給与明細をアップした保育士がいました。

 

あれは、保育士の置かれている現状をただ単にわかりやすく、伝える術だったのだと思います。

もし、現場の窮状をアップしたら、それこそ保護者の不安、クレーム、個人情報漏えいと問題山積みになるでしょう。

だから保育士は、声を上げてこられなかった。

お金だけじゃないんですよ。

 

それを簡単に今迄、小規模園では、預からなかった3歳児を預かれ、1歳児は、6人まで見ろなんて言われたら、今まで考えてきた保育が、一からやり直しなんですよ。

 

3歳児から幼稚園に行くのは、どうしてだろうと考えたことがありますか?

なんで小規模保育園が、2歳児までなのか考えたことがありますか?

 

あぁ、配置基準の事を考えると前を向いて子どものための保育に向かって頑張っている保育士に熱い想いがどうしても溢れてしまう・・・

今、保育士は、大忙しです。

明日の入園の準備に追われています。

ロッカーの名前を新入園児の名前に入れ替えたり、残業をして、明日からの大変な新入園児受け入れの慣らし保育の始まり・・・

阿鼻叫喚の日々を迎えるのです。

保育士頑張れ!

 

保育園の午睡中の事故は、新入園初日や数日の場合がダントツだそうです。

無理やりにうつぶせに寝かせないでください、大変だと思います。

でも子どもの命を守る為と自身の保育士生命を守る為です。

保育士頑張れ!

 

土日は、ゆっくり休めるといいなぁ・・・

土曜日は、無理ですよね、本当に一番大変な3月を乗り切ったのに4月が待っているなんて・・・

保育士頑張れ!

 

何度でも書きたい、配置基準の緩和、これだけは、本当に許してはいけなかったんですよ、今まで色々なことを書いてきましたけど、絶対にやっては、いけなかった!!

来週からの保育園の現状を見て欲しい!

 

次回必ずと書いた今向かっている保育については、今度こそ必ず。

次回は、必ず前向きなブログを!

 

「一斉保育」をやめようとした時に・・・

前回のブログで今回決定した配置基準緩和によって、考えられる保育の質の低下について書きました。

 

今でも「一斉保育」は、多くの園で導入されています。

でも怒鳴って子どもに言うことを聞かせるだけという「一斉保育」は、少なくなったと思います。

 

私が、保育士の資格を取得し、アルバイトで保育士として働き始めた頃、「一斉保育」が、見直されている過渡期と言ってよい時期だったと思います。

 

以前もブログに書いた通り、私は、保育の学校を出たわけでは、なく、一般企業の事務職として働きながら資格を取得しました。

私は、そもそも漠然と「孤児院で働きたいな」と考え保育士資格取得の勉強をしていました。

「孤児院」とは、呼ばず、「養護施設」ということすら勉強する前は知らなかった。

そのころ「養護施設」の本も何冊か読んでいましたが、「養護施設」で暮らす子どもは、どこかしらに心の傷を負っていて、対応の難しさが書いてありました。

そこで子どもについての何の知識もないまま、「養護施設」で働くよりも、保育園というところで働いて経験をつけようと考え、今に至るのです。

 

そんな、「保育」についての知識が浅い私にとって、保育園という場所は、驚くことが多かったです。

 

面接の際、何園か見学をさせてもらいましたが、とある園で、みんなでお絵描きをしている時間に居合わせました。

そこに一人の男の子が、「ぼくおえかきしな~い」と席を立ちました。保育士は、何というのかなと見ていると「いいよ~」と言ったきりその子に何の言葉がけ、アクションも起こしませんでした。

その子は、お部屋の中を一人フラフラ歩き、時には、一生懸命描いている子の邪魔をしたりしていました。

 

面接のときの話によると理事長が亡くなり、新しい経営者が、昔から行っている保育をやめるよう指導し、昔からいる職員をかなり辞めさせたとのことでした。

そこは、昔から何園も経営する法人の保育園でした。

子どもに体罰もしていたし、「鼓笛」と言って楽器の演奏を園児が行う練習にも力を入れていたそうです。

何園もあるので運動会は、共同で行い、園同志の競争のようになっていたそうです。もちろん、競争意識があるのは、保育者です。

午後のおやつ後、帰りの会、帰りの仕度を終えた後の自由遊びの時間は、床に座ってテレビを見て過ごし、テレビを見ている子どもたちの後ろで保育士は、椅子に座って子どもたちが、騒がないように見張っていたそうです。

そこの園は、とても規模が大きく、子どももとても多かったです。

 

その昔のやり方を変えるのは、とても良い考えだと思いますが、その頃「一斉保育」をやめようとなった時に「自由」と「放任」を履き違えた保育が、出てきました。

 

その私が見たお絵描きの時間も今迄のやり方なら、無理やりにでも座らせて、みんなと同じように絵を描かせていたのでしょう。

でも「一斉保育」をしないように上から言われ、今まで「一斉保育」しかしてこなかった保育士は、やり方がわからなかったのでしょう。

園の方針で「自由」と上からクギを刺されたら子どもが「やりたくない」と言えば、子どもの「自由」だから好きにさせるという保育をするしかない。

新しい経営者は、保育とは、関係のない仕事をしてきた人だったそうです。

「一斉保育」ではなく、「自由保育」と言われた時にやり方を知る人がいず、導いた人がいなかった。だから、子どもを放任する「保育」とは、呼びたくもない保育をすることになってしまったのでしょう。

でもその頃には、よくあった話だと思います。

これは、20年以上前の話です。

 

「自由」と「放任」の違いに気づき、また保育は、変わります。

子ども一人一人に寄り添いたいと考えている保育園が、今向かっている「保育」について今回は、書くつもりでしたが、書ききれませんでした。

次回必ず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「保育園落ちた、日本死ね」・・・保育士にとって最悪の結果に

保育園の配置基準、緩くなりますね・・・

国の基準よりも厳しい配置基準をとっている自治体には、国の基準に合わせるように厳しく指導していくのだそうです。

怒り心頭、昨夜は、あまりにも腹が立って寝付けませんでした。

 

保育士の仕事を馬鹿にしているとしか思えない、これからまた、保育士を辞める人が増えるでしょう。

「保育園落ちた、日本死ね」から始まったこの一連の騒動は、保育士にとって最悪の結果を招くことになってしまいました、とても残念です。

 

でも昔の配置基準は、もっと緩く、それでも保育は成り立っていました。

それは、何故なのでしょうか。

 

私が子どもの頃は、1歳でオムツがとれるのが当たり前だったと母から聞いていました。

今は、幼稚園入園前、3歳になるまでにとれればいいと考えている保護者の方も多いと思います。

それは、良い紙おむつがあるからでしょうか、私は、他にも理由があると考えています。

 

何故、私の世代は、オムツが外れるのが早かったのでしょうか、それは、おもらしをすると怒られ、叩かれて教えられた世代だからです。

私はその時、怒られたこと、叩かれたことは、全く記憶にないですし、父も母も大好きです。

 

今のトイレトレーニングの考え方は、子どもを叩いてまで教えることではなく、時期がきたら必ずとれる、オムツをしている大人はいないですよね、私も全くその通りだと思います。

この風潮は、子どもにとっても大人にとってもとても良いことだと思います。

 

でも怒ったり、叩いたらオムツは、早く外れたのです。

叩かれたくない、怒られたくないから子どもは、頑張ったのです。

 

それが、一昔前、配置基準が緩かった時の保育にも関係があると私は、考えます。

 

少ない保育士が、多人数の子どもを安全に保育しようととした場合、子どもを保育士の思う通りに動かそうとします。

でも子どもは、そう簡単に保育士の言うことに従わないですよね。

そこで保育士は、どうしたかと言うと、大声を出し、言うことを聞かない子を怒鳴り、子どもをまとめていました。(もちろん昔の全ての保育園、保育士がそうだったわけでは、ないでしょう)

 

「一斉保育」という言葉を保育士でなくとも耳にしたことがあると思います。

一昔前は、「一斉保育」が主流でした。

「一斉保育」は、少ない人数の保育士が、多人数の子どもを保育する時に力を発揮してきました。

 

保育士一人に対して子どもの人数が多いと子どもが、色々な場所で色々なことをしていると目が届かず、怪我をする子、危険なことをする子を防ぎきれません。

でも子ども全員が眼の届く範囲で同じことをしていてくれたら、危険なこと、怪我をするようなことが起きようとした時点ですぐに止める事ができますよね。

保育士が少なく、子どもが多いとそのような保育をせざるをえなくなります。

 

これは、一斉保育によく見られる例です。

子どもは、決められた範囲から出る事が許されず、その範囲に広げられたブロックで遊ぶことを強要されます。

ブロックをやりたくない子だっているでしょう。

でもその範囲から出たら保育士に「〇〇ちゃん、なんで出てるの」と怒られるのです。

一人の保育士で見られる人数、範囲には限界があるのでやむおえないのです。

 

狭い場所でブロックをしていると喧嘩が起きます、数も十分ではないと取り合いがおこります、少ない数のブロックで作れるのは、剣や電車位です、その剣で戦いごっこが始まります、電車ごっこでは、色々なところを走らせたいのに範囲が決められています。

戦いごっこをしている子、電車を走らせることに夢中になっている子に決められた範囲から出るなという方が無茶ですよね。

そこで保育士の怒鳴り声がとぶ・・・

「なんで喧嘩をしてるの、やめなさい」

「なんで絨毯から出ているの、絨毯の上で遊びなさい」

禁止事項ばっかりが増えていきます。

子どもは、戦いごっこがしたくても、電車を遠くまで走らせたくても保育士に怒られるのが怖いので保育士の言うことに従います。

 

これが保育士に対して子どもの人数が、多かった時の保育の一例です。

 

でも保育士たちは、子どもを怒鳴る事、決められた範囲から出ることに対してピリピリすることに嫌気がさしたのです。

子どもの気持ちになって考え始めたのです。

 

「喧嘩をするのは、ブロックが少ないから。ブロックに飽きているから。」

「絨毯から出てしまうのは、電車を思う存分走らせたいから」

 

それは、子どもが悪いんじゃない、保育が悪いんだ!と気が付いたのです。

 

そのことを考え始めた保育園の保育は、変わりました。

「一斉保育」は、見直され始めたのです。

 

子どもの気持ちに向き合って子ども一人一人が、充実して過ごすためにどうすればいいのか、これは、今でも保育士たちが日々考え、悩んでいることですが、試行錯誤しながらそこに向かっているのが、今の保育なのです。

 

そのような保育をしたいと願っている保育士たちに今回の配置基準の緩和が、どれ程酷いダメージを与えるのか、保育の質の低下を招くことにつながるのか考えて欲しいと思います。

 

 その一斉保育を見直して見えてきた、保育について次のブログに書きたいと思います。